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”Blue sunset seen from the quiet room” 第5話「信じる(前編)」

白群 初の自伝的連載小説


退院後、復帰した学校生活はどことなく居心地の悪いものだった。翌年には10歳になる、一桁が二桁になるという区切りの良さのせいで、より子供時代の貴重さを語られるようになったからかもしれない。
親や教師たちから、「楽しみなさい」、という親切とも圧力とも言えないような言葉をよくかけられ、大人はそれを言うのを楽しんでいるのだなと思った。


傷ついて、乗り越えて、強くなって。汗を流し、涙を流し、成長しなさい。

大人が私に求めることは、痛いくらいにギラギラと眩しく、私には到底できないことばかりだった。
馬鹿にしているわけでも、冷めているわけでもない。子供の私にとって、きっと難しいことでもないはずなのに、どうしてできないのだろう。

荒れた家庭と居心地の悪い学校を往復するうちに、自分は既に傷ついているのかもしれない、と思い始めるようになった。かなり昔から、傷ついていたのかもしれない。もう傷つきたくないと我儘を言ってぐずっているから、大人の期待に応えられないのかもしれない。
そう考え始めると、小さな自分が、巨大な傷口の前に立っているような心持ちになった。傷口は何かの門のようでもあった。恐ろしさや不安よりも、親しみにも似た懐かしさを強く感じた。傷口の奥で誰かが安心して眠っているような気がした。

傷口を塞ぐことはできなかった。傷ついていることを知らせるだけで周りを傷つけてしまうように思えて、言えなかった。人を傷つけずに生きることが、私の幸せの条件のひとつだった。


たまに、遠くに住む父が車で迎えに来て、山に連れていってくれることがあった。私を母の元へ置いていったことで父なりに思うところもあったのかもしれない。
私は山の自然が大好きだった。土の匂いや空を透かして茂る葉、葉が重なった部分の濃い緑、葉脈、苔むした木の幹、針葉樹と広葉樹の境目の尾根、鳥の鳴き声、火照った頬を冷ましてくれる木々を渡る風。渓流の美しい山が特に好きで、小さな滝壺に手を浸し、よく冷やした両手で首を包み、空を見上げると気持ちが良かった。

体重が軽い分、難易度の低い鎖場や岩壁ならば簡単に登ることができたし、木の根が複雑に張っているようなところも機敏に駆け登ることができた。
頂上に着くと、父はよく登山用のガスバーナーで珈琲を淹れて飲んでいた。洋楽の鼻歌もよく歌っていた。


小学四年が終わる頃、担任でもないのに私を可愛がり肩車までしてくれた先生が逮捕された。
大それた犯罪ではなかった。先生はすぐに釈放されたあと、担当していた上級生のクラスの生徒たちに土下座をした。その時に、激情型の何人かの生徒に蹴られていたと、上級生に姉妹が居るクラスメイトから聞いた。
先生も人だということ、正義的なやるせなさの皮を被った暴力を、少しだけ早く突きつけられてしまった。


小学五年の秋の長距離走大会が迫ったある日の昼休み、13段の階段を飛び降りた。運動は比較的よく出来たけれど、長距離走だけは前から苦手で、恥ずかしかったので大会をサボるために飛び降りたのだ。

落ちてゆく途中で1度階段の角に足の裏をぶつけ、そのせいで余計に体勢を崩して落ちた。落ちてゆく身体に、1秒遅れて内臓がついてきた。 階段の掲示物の色が視界の端を流れていった。ボブヘアがふわりと広がり、11月の冷えた空気が首筋を撫でた。

足首を捻る形で着地したあと、勢い余って二三歩前に進み、正面の壁にぶつかりそうになりながら、踊り場にへたりこんだ。
足首の剥離骨折と診断された。思っていたよりも5倍くらい重い怪我になってしまった。

長距離走大会の日、私は午後の間ずっと松葉杖の先で校庭の砂に落書きをしていた。片足だと描いた絵を消すのが難しかった。
病欠した子が「あいつサボりだろ」とクラスメイト達から揶揄されているのを聞いて、飛び降りて良かったと思った。

通うことになった薄汚れたヤブ医者の小さな病院には、表紙が少し掠れている「名探偵コナン」シリーズが揃えられていて、電気水に足を浸している間よく読んでいた。犯罪の動機がいい加減だったりすると少し嬉しくなった。



◉白群
ミスiD2021サバイバル賞、大森靖子賞、アメイジングミスiD受賞。
好きなものは生物画、鉱物、山の朝焼けと雲海、海底から眺める青空。
https://miss-id.jp/nominee/16016