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”Blue sunset seen from the quiet room” 第2話「笑う顔」

白群 初の自伝的連載小説


まだ入学した小学校の制服がさほど汚れないまま、私は首都圏に引っ越した。夏休みに入ってすぐのことだった。前住んでいた土地よりも随分暑いことと、転入する予定の小学校に制服がないことに驚いた。

死んだ父方の曾祖父の土地に家を建て、父の運転する車で新居に運ばれてきたので、これからは家族4人で暮らすのだと思っていた。しかし父はある程度引っ越しを手伝ったら仕事だからと言い新幹線で遠いところに行ってしまった。兄もまた東北の母方の祖母の元に預けられていたので、最初は母と私の二人暮らしだった。

母と2人きりの新生活は気まずいものだった。荷解きが進まず、いつまでも部屋の隅に段ボールが積み重なっていた。母と仲良くなりたい、と薄ぼんやり思いつつ何もできなかった。大きなダイニングテーブルで2人きり素麺を啜っている時など、母から嫌われているような気がして泣きたくなった。

引っ越してから2、3日は、がらんとした新築の新居を歩き回り、この家を建てるお金はどこから出てきたのだろうと考えていた。絶対に許されない食べ残しや1回使う度に流せないトイレ、毎日入ることができない風呂のことを考えると、怒鳴り終えたあとによく言う「うちは貧乏だから」という母の口癖には信憑性があった。2階に私の部屋も兄の部屋もある、こんなに大きな家、沢山借金でもしたのかしら。

引っ越してから数日経つと、夜、近所を2人で散歩するようになった。まだ何があるのか全く分からない、熱帯夜の町を歩くのは楽しかった。
駅に向かって散歩する時は、閉店し電気を落とした美容院やパン屋、まだ電気のついている学習塾やカラオケ、コンビニ、誰も居ない中学校や小綺麗なマンション、ありきたりな公園などを眺めて歩いた。
駅から離れるように散歩する時は、住宅街の電信柱に貼られた捜し物や勧誘のポスター、育ちすぎの胡瓜を実らせた小さな畑や幹が二股に分かれ両方を切られたYの形の木、幼稚園や老人ホームなどを眺めて歩いた。
近所にピアノ教室の看板を見つけたので、どちらからともなく後日電話してみようという話になった。

母が何処からか安物のかき氷器を買ってきて、散歩のあとにそれでかき氷を皿一杯分作り、真っ青なシロップをかけて分け合って食べるのが恒例になった。氷の欠片が大きくジャリジャリとしていて、特に大きめの氷の欠片が混じっているのを奥歯で噛み砕いて食べた。

夏休み終盤、兄が新居に来て3人暮らしになった。兄は陸上での人魚姫の如く喋らなかったから、代わりに私が壊れたお喋り人形の如くよく喋った。主に前の学校での友達との思い出話だった。全部母を喜ばすための捏造だった。
毎日ありもしない思い出話をしていたけれど、ある日、母が外国のお酒を飲んでいる横でいつものように捏造話をしていると、母は全く私のことを見ずに「もう話さなくていいのよ」と言った。私は黙った。このあと怒鳴られるのかどうか考えていた。数十秒の沈黙の後、母はグラスの中で音を立てて氷を回し、先程よりは随分明るい声で「お母さんは、××が新しい学校で出会う新しいお友達との楽しい話を聞きたいな」と言ったけれど、私は目が泳ぐばかりで何も答えられなかった。そのあと何度母の顔を見上げても、目が合うことはなかった。



あと夏休みも残すところ数日といった、とても暑い日の昼間、母はリビングのソファで手芸用品を広げ何かを作っていて、私は扇風機が当たる範囲の、フローリングの床にベタっと身体をくっつけていた。
転校のおかげで夏休みの宿題の多くが免除されていたので、起き上がっても何かすることがある訳でもなく、暇潰しに母の手芸用品を物色し始めた。キラキラのビーズや、大小様々なボタン。レースの端切れ、カラフルなまち針、そして裁ち鋏を手にしたところで母が「なんで死のうと思ったの?」と言った。私に聞いたというより、今手元で作っているものに向かって話しかけたような感じだった。私はすごすごとフローリングの床に退散していったけれども母は鬼の形相で追いかけてきた。そして私の目の前に正座して今度は怒鳴った。しかも泣いていた。同じ質問を何度もしないでと普段言うくせに自分は同じ質問を何度もした。肩を揺さぶられながら、あと何日で夏休みが終わるのか数えていた。2、30秒ずっとゆらゆらゆらゆらゆらしていた。
「なにか言って」
「死のうと思ったことなんてない」
「嘘つき」
叩きつけられるように渡されたメモ帳を受け取ると、それは私が書いた遺書だった。気に入っていた青色の色鉛筆で、これから死ぬこと、それについての謝罪の言葉が書き連ねられていた。
「虐められてた」
「じゃあいつもの友達の話はどうしたの」
「あれは嘘」
「それが嘘なのは知ってる」
私は黙った。私の右手にあった裁ち鋏はいつの間にか母に奪われていた。回答を間違ったらそれでなにかされるのかと恐れた。先程まで全く気にしていなかった蝉の声が酷く五月蝿く感じた。喉も目頭も鼻の奥も熱く痛かったけれど、だらだらと背中に冷や汗をかくばかりで涙は出てこなかった。
「覚えてない」
真っ直ぐ母のことを見つめて言った。
「嘘つき」
母も私を真っ直ぐ見つめて言った。
無意識のうちにシャツワンピースの第二ボタンを弄り続けていたらしく、ボタンがぶちっと取れた。それを機に、私はボタンを握り締めたまま2階に逃亡し、母は私の背中に向かって「××が死んだらお母さんも死ぬから!!」と叫んだ。階段の上から叫び返そうとしたけれど思いとどまり、2階の部屋に駆け込み、枕に顔を埋めて低く唸った。ボタンを握った左手で壁を殴った。
壁を殴った左手が傷んだ。手を開き、薄緑色のボタンを眺めた。このボタンをどうやって付け直すのかすら分からない。エアコンのリモコンも見当たらない。部屋は蒸し風呂のように暑かった。25kgもない身体が酷く重く感じられた。

夏休みが明けたら、友達を作ろう。新しい友達との楽しい話を、母が聞きたがっているから。それが母と仲良くなるための唯一の方法だと思った。

1階に降りたとき、母はまだ泣いていて、何度も「ごめんね」と謝られた。私も謝った。母は私の手を握った。謝るのが正解だったのか。
この日から夜の散歩の習慣はなくなった。かき氷も食べなくなって、青色のシロップが余った。

私は夏休みが明けるまでの数日間を、友達を作るため、明るく振る舞う練習に費やした。
洗面台の前に立って何度も笑顔を作るうち、どんな精神状態でも光が当たれば目は輝く、という当たり前の発見があった。漫画では辛いとき真っ黒に塗り潰される目が、現実では光さえ当たればどんなときでもきらきらと光る。助かるなあ、と思う。暗く塗り潰された目では友達ができないだろう。
洗面所の窓から差し込む夏の眩い光に輝く自分の目を見つめ笑った。




◉白群
ミスiD2021サバイバル賞、大森靖子賞、アメイジングミスiD受賞。
好きなものは生物画、鉱物、山の朝焼けと雲海、海底から眺める青空。
https://miss-id.jp/nominee/16016